西洋美術史
美術史年表
前40000 ~前3500 先史 ヴィレンドルフのヴィーナス(前30000)
アルタミラの洞窟壁画(前20000)
イギリスのストンヘンジ(前8000)
前3500 ~
300 古代 エジプト ピラミッド(前2500)
書記座像(前2500)
カルナクのアモン大神殿(前2000)
ツタンカーメン王(前1300)
メソポタミア ジグラット「白い神殿」(前3000)
アッシリア「有翼人面獣身像」(前900)
ペルシャ「ペルセポポリス宮殿」(前500)
クレタ・ミュケナイ キュクラデス美術<初期青銅期>(前3000)
クレタ美術<中期青銅期> 「クノッソス宮殿」(前1400)
ミュケナイ美術<後期青銅期>「獅子の門」(前1200)
ギリシャ ●アルカイック時代<前700-前450>
青年立像(アルカイックスマイル)
●クラシック時代 <前450-前320>
ミュロン「円盤投げ」
ポリュウクレイトス「槍をもつ人」
パルテノン神殿(ドリス式・イオニア式)
●ヘレニズム時代<前320-前31>
サモトラケのニケ
ミロのヴィーナス
黒絵式・赤絵式(壺)
ローマ ポンペイの壁画(前80)
コロセウム(80)
パンテオン(118-128)
トラヤヌス帝記念柱(113)
コンスタンティヌスの凱旋門(315)
4世紀~14世紀 中世 初期キリスト教 3~6世紀 <313>コンスタンティヌス大帝のミラノ勅令。キリスト教公認
カタコンベの壁画(3世紀)
サンタ・マリア・マジョーレ寺<バジリカ形式>(5世紀)
ビザンティン
4~9世紀 <330>コンスタンティヌス大帝 ローマ帝国の首都をビザンティンに移す
皇妃テオドラと侍女たち<モザイク>(547)
聖ソフィア大聖堂<バジリカ形式>(537-562)
イコン(6~7世紀)
ロマネスク
10~13世紀 パルマ礼拝堂(12世紀)イタリア
ピサ大聖堂(12-13世紀)イタリア
柱頭彫刻/フレスコ画など…修道院を中心に展開
ゴシック
12~14世紀 ノートル・ダム大聖堂(12-13世紀)パリ
シャルトル大聖堂(ゴシック建築の理想的なプラン)
アミアン大聖堂(ゴシックの完璧な遺構)
ミラノ大聖堂(14世紀末起工)イタリア
14世紀~16世紀 ルネサンス 初期ルネサンス ジョット(1266-1337)「キリストの哀悼」
ドゥッチオ(1255-1319)「キリスト伝」
ゴシック美術 初期ゴシック | 国際ゴシック | 北方ヨーロッパ、絵画の革新 | 後期ゴシック
中世の暗黒時代を抜け出し、繁栄の時代をむかえた。騎士の時代でもあり、建築の時代であった。
ルネサンス (15世紀~16世紀) 初期ルネサンス | ヴェネツィア | 盛期ルネサンス | マニエリスム
フィレンツェでの商業の発達は、読み書き算術の学問を広げていった。そしてエリートたちが生まれ学問・芸術は頂点へと向かう。リナシタ
(再生)の時代。フィレンツェは新しいアテナイであったが、キリスト教徒でもあった。古代ギリシャ・ローマの古典とキリスト教を融和さ
せていきながら、再生ではなく、近代人を生んでいった。
北方ルネサンス デューラーとドイツ肖像画 | 北方マニエリスム | 北方風景画
イタリアの画家は新しい方向へと進んだが、北方の画家たちはまっすぐに進んでいった。ゴシックの最終段階と見るが、それは侮蔑的な意味
は全くない。北方では中世はゆっくりと終りを迎えた。イタリア人たちはその高度に完成された自然模倣を賞賛した。
前期ルネサンス マザッチョ(1401-1428)「楽園追放」…人間的な表現
フラ・アンジェリコ(1387-1455)「受胎告知」
ボッティチェルリ(1445-1510)「ヴィーナス誕生」「春」
ドナテルロ(1386-1466)「ダヴィテ像」
盛期ルネサンス レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)「最後の晩餐」「モナリザ」
ミケランジェロ(1475-1564)「ピエタ」「ダヴィテ像」「最後の審判」
ラファエル(1483-1520)「美しき女庭師」等の聖母子像
後期ルネサンス ティッツィアーノ(1487-1576)「ウルビーノのヴィーナス」
ティントレット(1518-1594)「最後の晩餐」
北方ルネサンス ヤン・ファン・エイク・(1390-1441)油絵「アルノフィーニ夫妻の肖像」
ボス(1450-1516)「乾草車」「快楽の園」
ブリューゲル(1528-1569)「バベルの塔」「雪中の狩人」
デューラー(1471-1528)「4人の使徒」
バロック (17世紀) イタリア | フランドル | スペイン | オランダ | フランス
数学や科学も複雑化していき、一人の人間が同時に芸術家、人文主義者、科学者といったレオナルドやデューラーのような万能の天才は現れ
なくなる。コロンブスの大胆な探検の後、植民地開拓者が続いた。ルネサンスの劇的な発見を着実に発展させ、今日の技術や科学進歩の基礎
を築いていった時代。
17世紀 バロック カラヴァッジョ(1573-1610)「キリストの埋葬」
グレコ(1541-1614)「オルガス伯の埋葬」
ベラスケス(1599-1660)「女官たち」
ルーベンス(1577-1640)「愛の園」「キリストの十字架降下」
レンブラント(1606-69)「夜警」
フェルメール(1632-75)「牛乳を注ぐ女」
プッサン(1594-1665)「サビニの女の略奪」
ベルニーニ(1598-1680)「聖テレサの幻想」
ロココ (18世紀) 1715年~1774年
形式ばって堅苦しい、威圧的な壮麗さがあったルイ14世が他界。ルイ15世の時代になり、フランスの宮廷が息抜きした時代。貴族たちは
強制的にヴェルサイユ宮殿に住まわされていたが、ルイ15世の時代になるとそれぞれがパリに優雅な邸宅を建て始めた。このような新しい
邸宅はロココ様式とかルイ15世様式と呼ばれた。
18世紀 ロココ ワトー(1684-1721)「シテール島への船出」
シャルダン(1699ー1779)「食前の祈り」「エイ」静物・風俗画家
フラゴナール(1732-1806)「読書する若い女」
ゴヤ(1746-1828)「裸のマハ」「我が子を食らうサトゥルヌス」
19世紀 近代 新古典主義 ダビッド(1748-1825)「皇帝ナポレオン1世と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」「ホラティウス兄弟の誓
い」
アングル(1780-1867)「泉」「グランド・オダリスク」
新古典主義 (18世紀中頃~19世紀初め) イギリス | スペイン | フランス
ロマン主義と新古典主義を分けるのは困難がある。ロマン主義は様式ではなく心の在り方であり、概念であるから。ロマン主義時代における
古典主義の復活を新古典主義と呼ぶ。初期は啓蒙主義思想と結びついていた。フランス革命、第一共和制、帝政、王政復古の時代を通じて政
府が容認した公の様式でもある。
アカデミック・アート (19世紀)
フランス、芸術家のエリートともいうべきアカデミー美術学校。新古典主義との繋がりが強く、その技術水準の高さは再評価が進んでいる。
浮世絵 江戸時代 (1600年代~1867年)
広重 北斎
ロマン主義 (18世紀後半から19世紀中頃)
アメリカ・フランスにおける政治革命、科学と大量生産、過激なまでに変化の時代を作り上げていった。
確立された秩序、儀礼的・人口的になりすぎた生活。自然から離れてしまったという思いから出てくるのは自然崇拝であった。社会の慣習を無
視し、自然にの状態で自由に生きたいとする人々が現れる。それは不道徳で無気力な貴族たちとは正反対に位置する。古代ギリシャ、中世、
アメリカ大陸の大自然、東洋の王国などが注目を浴びる。キリスト教の信仰が愛国心へと変化する時代でもあった。
ロマン主義 ジェリコー(1791-1824)「メデューズ号の筏」
ドラクロア(1797-1863)「民衆を導く自由の女神」
自然主義 ターナー(1775-1851)「ヴェネツィア湾の眺め」などの風景画
ミレー(1814-75)「種をまく人」「晩鐘」「落ち穂拾い」
コロー(1796-1875)「真珠の女」「モルトフォンテーヌの想い出」
写実主義 ドーミエ(1801-79)「ドンキホーテとサンチョパンサ」など風刺画
クールベ(1819-77)「オルナンの埋葬」
印象主義 マネ(1832-83)「草上の昼食」
モネ(1840-1926)「印象 日の出」「ルーアン聖堂」「水蓮」
シスレー(1839-99)「サン・マルタン運河の眺め」
ルノアール(1814-1919)「ムーラン・ド・ギャレット」
ドガ(1834-1917)「踊り子」
ピサロ(1831-1903)「赤い屋根」
ラファエル前派 (1848年~19世紀後半)
ロマン主義の時代であったが、イギリスで軽薄な芸術と戦うとしてラファエル前派が現れた。現代文明の病、社会問題を提示していこうとい
う強い衝動があった。
印象派 (1860年代~1880年代) 写実主義 | マネ・ドガ、その影響 | 印象派 | アメリカのヴィジョン
19世紀半ば、新しい機械が大量に安い商品を生み出していった。しかし人間の悲惨も同時に生みだしていた。低賃金工場労働者は技術も持
たず貧民窟に住むようになる。機械は祝福の対象であったが、同時に呪いの対象でもあった。秩序は不穏なものとなり、労働者は民主社会を
強く求めた。
周囲の問題から逃避していた芸術家たちはリアリズムを求めだした。
新印象主義 スーラ(1859-91)「グランド・ジャット島の日曜日の午後」
シニャック(1863-1935)「フェリクス・フェネオンの肖像」
後期印象派 (1880年代~1900年) 後期印象派 | 象徴主義の影響 | ナビ派 |アールヌーボー
1880年代から90年代にかけて新しい動きを取る取り始めた。反印象主義ではなかったので後期印象派と呼ぶ。
後期印象主義 セザンヌ(1839-1906)「サント・ヴィクトワール山」
ゴッホ(1853-1890)「タンギー爺さん」「星月夜」
ゴーギャン(1848-1903)「ブルターニュの娘たち」
近代彫刻 ロダン(1840-1917)「地獄門」「カレーの市民」
マイヨール(1861-1944)「地中海」「夜」
20世紀 フォーヴィスム マティス(1869-1954)「ダンス」「大きな青いドレス」
ドラン(1880-1954)「テムズ川の落日」「マティスの肖像」
ブラマンク(1876-1958)「田舎のカップル」
キュビスム ピカソ(1881-1973)「アヴィニョンの娘たち」「ゲルニカ」
ブラック(1882-1963)「ポルトガル人」
レジェ(1881-1955)「トランプ遊びをする兵士」
表現主義 モロー(1826-98)「踊るサロメ」
ムンク(1863-1944)「叫び」
アンソール(1860-1949)「キリストのブリュッセル入城」
カンジンスキー(1866-1944)「コンポジション(8)」
シュルレアリスム ダリ(1904-89)「記憶の固執」「内乱の予感」
キリコ(1888-1978)「街の神秘と憂愁」
エルンスト(1891-1976)「沈黙の目」
ミロ(1893-1983)「アルルカンの謝肉祭」
未来主義 パッラ(1871-1958)「犬のダイナミズム」
抽象主義 モンドリアン(1872-1944)「ブロードウェー・ブギウギ」
クレー(1897-1940)「金魚」
エコール・ド・パリ ルオー(1871-1958)「郊外のキリスト」
モディリアニ(1884-1920)「横たわる裸婦」
シャガール(1887-1985)「私と村」
藤田嗣治 (1886-1968)「室内、目覚まし時計のある静物」
ユトリロ(1883-1955)「コタン小路」
ダダ デュシャン (1887-1968)「L.H.O.O.Q.」