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17世紀フランス美術とフランス革命

17世紀フランス美術とフランス革命

1760年代にジョゼフーマリー、ヴイアンは古代の遺品から借用した構図や人体のポーズをロココ風のテーマの絵に用いて人気を博し、またジャン・パティスト・グルーズはディドロの影響によってローマ史のテーマをプッサン風の様式で、描く試みを行なっている、そしてヴィアンの弟子のジャック=ルイ、ダヴィッドはグルーズの試みを継承して大革命に先立つ1780年代に、フランスのみならずヨーロッパ新古典主義絵画の頂点と目される数点の作品を制作した、そのなかの[ホラティウス兄弟の醤い][ソクラテスの死][ブルートゥス邸に息子たちの遺骸を運ぶ警士たち]は、限定された数の人物を水平線と垂直線を強調した構図に配することによって倫理的な意味をもつ古代史の事件を明瞭に物語るという、プッサンの確立した物語画の手法の厳格な応用であった、革命勃発とともにダヴイッドは美術関係の制度の改革に携わるかたわら[テニスコートの誓い]素描や[マラーの死]などの革命の視覚的記録としても重要な作品を描いた、帝政開始とともに「皇帝の首席画家」の称号を与えられた彼は大作[皇帝ナポレオンの聖別式と皇妃ジヨゼフイーヌの戴冠]を制作した、革命期とナポレオン時代のダヴィッドの作品には西洋絵画の伝統に負った整った形式性と記録的な写実性の結びつきが見られる、一方彼は生涯にわたって古典古代芸術への尊敬を失わず、[テルモピュライのレオニダス]のような内容と様式の両面に古代志向が感じられる作品を描き続けて新古典主義の精神を19世紀に伝えた、

革命の祭典
フランス革命は伝統的なキリスト教の代わりに人々の心を結び付ける役割を果たすさまざまな祭典を考案した、なかでも'790年の「連盟祭」、93年の「理性の祭典」、94年の「最高存在の祭典」などは大掛かりなものとして知られている、こうした祭典では凱旋車を中心にした行列が市内の広場に向かって進み、そこで儀式を行なうという方法が取られた、行列や儀式のしつらえの計画は画家や建築家にまかされ、作曲家には人々が歌う曲の、詩人にはその歌詞の制作が依頼された、Aフランス革命期の美術行政に権勢を奮ったダヴィッドは革命の祭典の演出にも携わった、彼が関わった祭典には「ヴォルテールの遺骸のパンテオンへの移送」('791年)、「自由の祭典」(92年)、「博愛の祭典」(93年)、「最高存在の祭典」(94年)などがある、凱旋車や人々の持つさまざまな小道具のデザインに際してダヴィッドは、王朝文化やキリスト教への連想を避けるために徹底した新古典主義様式を採用した、22祭典の視覚的演出には革命にとって重要なさまざまな理念を意味する擬人像や象徴物を欠かすことができなかった、例えば「自由」、「平等」、「博愛」は、古典古代風の女神の装いをした女性像や次のような象徴によって表わされた、すなわち自由は古代の解放奴隷が冠っていたフリギア帽と呼ばれる布の帽子、平等は三角形の水準器、博愛は小枝を束ねて連帯を表わした束樟によって示されたのである、
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