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17世紀の美術のバロック美術

17世紀の美術のバロック美術

17世紀の美術はしばしばバロック美術と呼ばれる.「バロック」の語源については「歪んだ真珠」を意味するポルトガル語、など諸説があるが、いずれにせよ、この語は「規範からの逸脱」を表わす形容詞として、18世紀末の古典主義の芸術理論家により、否定的な意味で、17世紀の美術、ことに建築に適用された。現在では「バロック」は価値判断から独立した様式概念となっているばかりか、ほぼ17世紀全体を指す時代概念としても使われる。しかし、17世紀の美術全体をバロック様式として括ること異論も多い。オランダ絵画の醒めた写実性は、バロック様式の特徴とされる誇張や劇的効果の追求とは無緑なものであるし、17世紀後半のフランスの美術は、ルネサンスに由来する規範から逸脱するどころか、この規範をいっそう厳格に守ろうとする古典主義の立場を取っていた.それゆえ、劇的で奔放な狭義の「バロック」は、17世紀美術の諸傾向の一つと見倣されるべきであろう。とはいえ、この時代の美術全休に多少とも共通する特徴は明らかに存在する。17世紀の美術は基本的には盛期ルネサンス美術の伝統を受け継いでいた。ただ、現実への関心は様式・主題の両面でさらに強まっており、宗教画や神話画がより現実的な表現をとるようになったばかりでなく、風俗画・風景画・静物画などの現実に密着した画種が独立する。また、仰槻的遠近法による天井画の発達に典型的に見られるように、芸術作品と観者の存在する現実世界との境界を取り払うことも目指される。光の効果に対する関心もこの時代の特色で、光は現実的に表現された宗教画を聖化する一方で、風景画に真昼や夕刻といった時間的要素を導入している.総じて17世紀の美術は、ルネサンス美術とは異なり、永遠の相のもとにではなく、移ろいゆく相のもとに世界を捉えようとするのである.

なお世紀前半には依然としてイタリア、ことにローマが西欧美術の中心であったが、その他の国々もイタリアと関わりながら、それぞれの独自性を発揮して百花練乱の観を呈する.さらに17世紀から18世紀初頭にかけてのルイ14世の治世には、フランスが政治面だけて、なく文化面でも自他ともに認めるヨーロッパの中心となった.

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